こんにちは。神宮司です。
実は先月、長野県の松本市に引っ越しをしました。
新天地での生活は、まだまだ手探りですが、それでもひとつ確信していることがあります。それは、この街の空は思っていたよりもずっと広くて、そして静かだということ。
引っ越してすぐ、まだ段ボールも空けきらぬままふと玄関先に出て深呼吸をしたときのこと。耳に届いたのは山を下りてきた風音。そして、空に浮かぶ薄い雲の影が北アルプスの稜線を静かになぞっていました。
この街に住む人たちは、朝にすれ違うと「おはようございます」と自然に声をかけてくれます。駅前の珈琲美学アベ(地元の老舗喫茶店)でモーニングを頼むと、トーストに添えられたプレーンオムレツまで、どこか心がこもっているように感じました。
私はこれまで、都会の片隅で忙しく生きてきたつもりです。地下鉄での通勤、人混みを避ける動線、メールに追われる毎日。ふと空を見上げることすら時間の無駄と思っていたかもしれません。
でも、その定義も松本に来てから少しずつ変わっていっています。
空を見るという習慣
不思議なもので、ここでは空が生活の一部としてそこにあります。
夕方になると、犬の散歩をする人たちが足を止めて夕焼けを見つめているのです。
私は最近、雲の名前を覚えるようになりました。
例えば、うろこ雲は「巻積雲(けんせきうん)」という名前があって、秋の訪れを知らせてくれる雲です。「入道雲(にゅうどうぐも)」は、「積乱雲(せきらんうん)」と呼ばれ、夏の強い陽射しと雷雨の前触れです。
こうした名前を知って空を見上げると不思議と心が落ち着くのです。
雲ひとつにだって名前と意味がある。そのことが、今の私にとってなんだかとても希望に思えます。
無駄な時間、ではなく「豊かな間」
ある日、近所の八百屋さんで、山形村産の「長いも」と「わさび漬け」を買いました。レジに並んでいると後ろにいたおばあさんが「それ、美味しいよ。とろろにするとつるんとして」と話しかけてくれました。
東京にいたころ、スーパーで話しかけられることはまずありませんでした。
それは別に悪いことではないけれど、人との関係が「機能」に偏りすぎていた気がします。
松本では、レジでのやりとりも道端のあいさつもすべてが「間(ま)」を大切にしているように思えるのです。
その「間」は、決して効率的ではありません。
でも豊かなのです。
「何もない日」がいちばん大事
最近の私の朝は、決まってこんな風です。
・朝6時に起きて、温かい白湯を飲む
・冷たい信州の空気の中、ベランダで5分だけ深呼吸
・簡単な朝食(信州味噌の味噌汁が多めです)
・そして、ノートを開いて、「昨日の気づき」をひとことだけ書き留める
たとえば昨日は、こう書いてありました。
「道に咲いていたオオイヌノフグリが、まだ寒いのに頑張って咲いていた。花は待たない。」
そんな言葉が、自分にとっての道しるべになる気がするのです。
終わりに
松本に来て、空を見上げるようになりました。
それは、誰かに何かを言いたくて見上げるのではなくただ今ここにあることを感じるための時間です。
もし、あなたが今何かに追われていたり先のことばかり考えていたりするならほんの5分でいいので空を見てみてください。雲の形に名前をつけてみるのも楽しいですし、ただぼーっとするだけでもかまいません。
人は、いつも前に進まなくてはいけないと思いがちですが、
時には、止まって味わうことでしか得られないものもあります。
それに気づけたことが、私にとってこの引っ越しの一番の贈り物かもしれません。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
次回は、「松本で出会った、不思議なパン屋さん」のお話をお届けしようと思います。
