こんにちは、神宮司です。
長野県松本市での暮らしも気がつけばもう数ヶ月が経ちました。
春は春風が心地よくて、そして夏は空が高い。
なんというか四季の輪郭がきちんと存在していて移ろいゆく季節をきちんと感じることができるような気がしています。
今日は、松本の街中にひっそりと佇む一軒の書店に行ってみました。
その名も「本・中川」。
ただの本屋さんではありません。
端的に言うとここには、本とアート、空間と思想、静けさと対話が穏やかなバランスで共存しているような不思議な空間でした。
松本・元町1丁目の旧民家を改装し、歴史的な蔵造りの趣をそのまま生かしている「本・中川」は、町のアートプロジェクトの一環として運営されているそうです。
外観から静けさを感じさせる真っ白な扉が目印。外観も絵本から飛び出したような感じがして、一目で素敵な本屋さんなんだろうなと思いました。
店の前に立った瞬間、ここは静けさを大切にする場所なんだとすぐに伝わってきました。
中へ入ると、時間が止まったような空間が広がります。
天井は低めで、落ち着いた木の梁。床は昔ながらの無垢材のまま。
香ばしい紙の匂いと、木の匂いがまざりあって、どこか懐かしい。
壁際には無造作に並んだ古書。
中央のテーブルには新刊やアートブック、リトルプレス(少部数の手製本)などが置かれていて
いわゆるジャンル分けのようなものはあまり感じません。
このジャンル分けの曖昧さがとても居心地がよかったです。
本・中川の魅力は、その選書にあると感じました。
ここには、いわゆるベストセラーや話題作は並んでいません。
むしろ、どれも見覚えのないタイトルばかり。けれど不思議とどれも読みたくなるんだからとても不思議です。
それは、店主の明確な視点が貫かれているからなのかなと、ふと思いました。
たとえば、アートと社会について語った評論。
土地と暮らしを結ぶ民俗学の古典。
生活のなかに潜む「美」について静かに語るエッセイ集。
小さな出版社が出している手製本の詩集。
選ばれた本たちは、いずれも消費されることを拒み
考えることとか感じることを促してきます。
ここにいると、自然と読むという行為が単なる情報収集ではなく誰かとの静かな対話に近づいていくような気がしました。
書棚の奥には、白い壁とフローリングのスペースがあり、そこは展示室になっていました。
このスペースは「まちと本と展覧会」というテーマのもと定期的に企画展が開かれているそうです。
本って、読むものというより留めるものなのかもしれないと、
留めるとは、記憶に留める、思考に留める、棚に留めていつかまた読み返す。
つまり完了しないものとしての本。
最近の都会の書店では滞在時間が短く、選ぶ基準も必要か否かでほぼ決まっているような気がします。
けれどここでは必要であるかどうかっていうのは関係なく、今の自分の中に静かにある何かが引き寄せられるかどうかが手に取る基準になっていて
それもなんだか自然だな。と思いました。
松本に来てすごく感じる、土地が持つ柔らかさと、本・中川の空気感はどこか似ている気がします。
高いビルが少なく目線が自然と横に流れるこの町では目立つよりも在ることが大切なのかも。
都会では、アートというと敷居が高かったり装飾としてしか機能しなかったりして、
けれど、この店にある作品や書籍はもっと暮らしの温度を上げるような存在に感じられました。
使い込まれた器のように手に取って時折話しかけて少しずつ距離を近づけていく。
本との距離感も、アートとの距離感も、ここでならきっと再構築できる。
そんな確信めいたものが私の中にゆっくりと沈んでいきました。
本・中川を出て私はひとつの言葉を思い出していました。それは余白です。
多すぎる、流れすぎていく情報が飽和して
選択が早く、早くなりすぎた都市生活の中では私たちはつい余白を削り、効率することを詰め込んでいる人が多い気がします。
松本には、余白がちゃんと自然とあって
本をゆっくり読める小さなカフェ。
時計を気にせず入れる銭湯。
誰にも気づかれないような裏道の古書店。
「本・中川」も、そんなわたしの余白のひとつとなりそうです。
本を買いに行ったのではなく静けさに触れに行った。
そんな感覚を、帰宅してから思い返しています。
松本の暮らしは、いつも私に、生きる速度をゆるめてもいいんだよと教えてくれている、そんな気がします。
